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赤坂の坂めぐり|赤坂サカス


赤坂の坂めぐり「赤坂の16坂特集」

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赤坂サカスの名称の一部ともなった”赤坂の坂”!
実は、こんなにあったんです!赤坂さかすともに赤坂の坂散策を楽しんでみては!

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【赤坂の坂(1)転坂(ころびざか)】

江戸時代から道が悪く、通行人がよく転んだのが坂名の由来。

転坂(ころびざか)詳細→ 赤坂の坂転坂(ころびざか)


【赤坂の坂(2)南部坂(なんぶざか)】

赤穂浪士の討ち入り(元禄15年)以前に、陸奥盛岡藩主南部家の下屋敷があったので、南部坂と呼ばれる。大石内蔵助にまつわる「南部坂雪の別れ」の舞台になった。難歩坂、なんぼ坂ともいう。

南部坂(なんぶざか)詳細→ 赤坂の坂南部坂(なんぶざか)


【赤坂の坂(3)氷川坂(ひかわざか)】

氷川神社の正面に沿う坂なので氷川坂という。

氷川坂(ひかわざか)詳細→ 赤坂の坂氷川坂(ひかわざか)


【赤坂の坂(4)本氷川坂(もとひかわざか)】

昔、坂の東側に本氷川明神社があったのが坂名の由来。その後、明神社は氷川神社に合祀された。

本氷川坂(もとひかわざか)詳細→ 赤坂の坂本氷川坂(もとひかわざか)


【赤坂の坂(5)檜坂(ひのきざか)】

桧町公園・東京ミッドタウン一帯には江戸時代、長州藩毛利家の中屋敷と下屋敷があった。邸内には檜の木が多く、檜屋敷とも呼ばれた。その屋敷に沿う坂なので檜坂という。

檜坂(ひのきざか)詳細→ 赤坂の坂檜坂(ひのきざか)


【赤坂の坂(6)乃木坂(のぎざか)】

乃木希典大将の名にちなむ。なだれ坂、行合坂、膝折坂、幽霊坂などとも呼ばれた。

乃木坂(のぎざか)詳細→ 赤坂の坂乃木坂(のぎざか)


【赤坂の坂(7)三分坂(さんぷんざか)】

「(三分(さんぷん)」とは、貨幣の重量単位で、銀1匁の10分の3のこと。今の200円くらいか。車のあと押しの割増料金のこととも、坂下にあった渡し船からの荷上げ料金のこととも言われる。

三分坂(さんぷんざか)詳細→ 赤坂の坂三分坂(さんぷんざか)


【赤坂の坂(8)円通寺坂(えんつうじざか)】

坂上南側にある円通寺にちなむ。円通寺は、元禄8(1695)年に三分坂から移転してきたが、それ以前にも、同名の別寺があったともいわれる。

円通寺坂(えんつうじざか)詳細→ 赤坂の坂円通寺坂(えんつうじざか)


【赤坂の坂(9)稲荷坂(いなりざか)No.1】

江戸時代、坂下北側に円通院という寺があり、その境内にあった旭飛稲荷への門が坂に面していたのが坂名の由来。坂の両側一帯に、江戸城中の清掃役を勤めた御家人たちの組屋敷があったので掃除坂とも呼ぶ。

稲荷坂(いなりざか)詳細→ 赤坂の坂稲荷坂(いなりざか)


【赤坂の坂(10)新坂(しんざか)】

今から約300年前の、元禄12(1699)年に新しく開設された。

新坂(しんざか)詳細→ 赤坂の坂新坂(しんざか)


【赤坂の坂(11)薬研坂(やげんざか)】

中央がくぼみ、両端が高くなっている長坂。この形が、薬種(薬の材料)砕く器具の薬研に似ているのでこう呼ばれる。別名を何右衛門(なにえもん)坂ともいう。もとは火消しだった何右衛門という男が、喧嘩で頭を殴られてから気が変になり、この坂のあたりをうろついていたという伝えがある。

薬研坂(やげんざか)詳細→ 赤坂の坂薬研坂(やげんざか)


【赤坂の坂(12)末広稲荷大明神(すえひろいなりだいみょうじん)・稲荷坂(いなりざか)No,2】

通称仙石稲荷ともいう。元は江戸城の吹上御苑に祀られていた火伏稲荷だったが、この一帯に居住していた黒鍬同心に与えられたものである。黒鍬同心とは、江戸城内の整備・防火・土普請・掃除などに使役される下級武士をいう。五代将軍綱吉の側室で鶴姫と徳松を生んだ「お伝(瑞春院)」という人がこの黒鍬組の出身だったので、異例ともいえる稲荷社の授与があったのだ。この末広稲荷の名から、北東に下る坂(通称コロンビア通り)を稲荷坂と呼ぶ。

【赤坂の坂(13)丹後坂(たんござか)】

坂上の東北側に武蔵金沢藩主米倉丹後守の屋敷があったので丹後坂と呼ばれた。

丹後坂(たんござか)詳細→ 赤坂の坂丹後坂(たんござか)


【赤坂の坂(14)牛鳴坂(うしなきざか)】

赤坂から青山に抜ける厚木道だった。路面が悪く、急坂で車を引く牛が悲鳴をあげて苦しんだという。別名はさいかち坂。坂の崖際に、枝にどげのあるサイカチの木があったと思われる。

牛鳴坂(うしなきざか)詳細→ 赤坂の坂牛鳴坂(うしなきざか)


【赤坂の坂(15)弾正坂(だんじょうざか)】

坂の西側に上野吉井藩主松平左兵衛督の上屋敷があり、代々、弾正大弼(今の法務次官)に任じられることが多かった。

弾正坂(だんじょうざか)詳細→ 赤坂サカスイベント情報


【赤坂の坂(16)九郎九坂(くろぐざか)】

江戸時代、このあたりは、一ツ木町と呼ばれた。名主は秋元八郎左衛門といったが、その先祖の九郎九の名をとって坂名にした。

九郎九坂(くろぐざか)詳細→ 赤坂の坂九郎九坂(くろぐざか)


【赤坂の坂(17)安鎮坂(あんちんざか)]

付近に安鎮(珍)大権現の小社があったので坂の名になった。武士の名からできた付近の地名によって権田原坂ともいう。

安鎮坂(あんちんざか)詳細→ 赤坂の坂安鎮坂(あんちんざか)


【赤坂の坂(18) 榎坂(えのきざか)]

江戸時代はじめ、浅野左京大夫幸長(ヨシナガ)がこのあたりで人口湖の造成(いわゆる赤坂溜池)に成功した。家臣の矢島長雲は、この功績を後世に残そうと、その堤に「印の榎」を植え、これが、坂名と町名の起源となったと伝えられる。

榎坂(えのきざか)詳細→ 赤坂の坂榎坂(えのきざか)


【赤坂の坂(19)紀伊国坂(きのくにざか)]

坂の西側に江戸時代を通じて紀州(和歌山県)徳川家の広大な屋敷があったところから呼ばれた。小泉八雲の「怪談」に出てくる坂としても知られ、都内でも風趣に富んだ坂の一つ。赤坂離宮前から弁慶堀に沿って元赤坂一丁目方向へゆるやかに下り、弁慶堀の真ん中あたりから南側が港区。江戸城外堀のことを別名弁慶堀と呼ぶのは、寛永年間に堀割工事を請け負った弁慶小右衛門の名をとったものと伝えられる。この弁慶堀にかけられている弁慶橋は明治22年(1889)に造られ、擬宝珠は旧諸橋から集められたもの。

紀伊国坂(きのくにざか)詳細→ 赤坂の坂紀伊国坂(きのくにざか)


【赤坂の坂(20)桜坂(さくらざか)]

明治中期に新しく作られた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからこの名がついた。

桜坂(さくらざか)詳細→ 赤坂の坂桜坂(さくらざか)


【赤坂の坂(21)鮫ヶ橋坂(さめがはしざか)]

明治時代まで坂下に鮫河橋という橋があり、この辺りを鮫河橋町と呼んでいたことからこの名が付いた。

鮫ヶ橋坂(さめがはしざか)詳細→ 赤坂の坂鮫ヶ橋坂(さめがはしざか)


【赤坂の坂(22)新榎坂(しんえのきざか)]

近くに榎坂があったため、名づけられた。2004年にできた新しい坂である。

新榎坂(しんえのきざか)詳細→ 赤坂の坂新榎坂(しんえのきざか)


【赤坂の坂(23)霊南坂(れいなんざか)]

江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名を取ったが、いつか嶺が霊となった。

霊南坂(れいなんざか)詳細→ 赤坂の坂霊南坂(れいなんざか)

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