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[柴又(しばまた)七福神]
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[期間]
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通年(ただし勧蔵寺の御開帳は1/1〜1/15、医王寺は〜7日、万福寺は〜31日、真勝院は〜1月半ば、良寛寺は〜10日頃、題経寺は〜7日庚申の日)
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[所要時間]
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約2時間30分
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[最寄り駅]
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京成本線・北総鉄道京成高砂駅、京成金町線柴又駅
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[モデルコース案内]
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京成高砂駅(6分)→勧蔵寺(かんぞうじ)(寿老人・25分)→医王寺(いおうじ)(恵比寿天・3分)→宝生院(ほうしょういん)(大黒天・7分)→万福寺(まんぷくじ)(福禄寿・6分)→真勝院(しんしょういん)(弁財天・5分)→良寛寺(りょうかんじ)(宝袋尊・8分)→題経寺(だいきょうじ)(柴又帝釈天・しばまたたいしゃくてん)(毘沙門天・6分)→柴又駅
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真言宗豊山派。柴又七福神の中で勧蔵寺だけが、高砂にある。
創建は、文明元年(1469)。その後、天文7年(1538)と永禄7年(1564)の二度に渡る北条・里見の国府台合戦で焼失・荒廃したが、承応2年(1653)、隆敬法印によって再興。
本尊は、聖観世音
祀られている寿老人座像は、高さ9cm、一木造の大きさ。
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真言宗豊山派、本尊は薬師如来。
創建は、応永14年(1407)。その後、北条・里見の対立の中で荒廃。
同じ頃、中興も聖人・現珍僧都は大火に遭った高野山の復興勧進のため、薬師如来をを背に全国行脚を続けていたが、山中で脚気により歩行困難になり、村人より一体の恵比寿天とそば粉の寄進を受け、21日間礼拝供養を行う。
医王寺は、そばとの深い縁もあり、境内には、蕎麦地蔵尊像も立つ。
恵比寿天像は、本堂に祀られている。
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真言宗豊山派。かつては、徳川家のひとつとして上野にあったが、関東大震災がきっかけで、昭和2年(1927)に現在地に移ってきた。
宝生院の大黒天は、本尊でもあり、一年中拝むことができる。鎌倉時代に彫られたと伝えられる大黒天像は、別名「出世大黒天」。大きな袋と打ち出の小槌で多くの人々を救済する、出世財福のご利益で知られ、徳川将軍家からの信仰も篤かったらしい。
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昭和5年(1930)に完成した柴又新四国八十八ヶ所霊場がその前身。
昭和23年(1948)に、正式に「万福寺」という名称となった、曹洞宗の寺院。
本堂の完成は、昭和56年(1981)、山門の完成は、昭和63年(1988)。まだ歴史の新しいお寺。
本尊は、南無釈迦無尼仏で、福禄寿も本堂に祀られている。
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創建は、大同元年(806)。国府台合戦で焼失したが、その後幾度かの再建を経て、現在に至っている。
真言宗豊山派、本尊は不動明王。
一般的に祀られている弁財天は、琵琶を持った姿が知られているが、真勝院で祀られている弁財天は、「金光明最勝王経」に説かれる8本の手に弓や剣を持つ、八臂弁財天像で、頭には人頭蛇身の宇賀神が乗る珍しいもの。
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真言宗豊山派、本尊は聖観音
普通は、「布袋尊」と書くのに対し、良寛寺は「宝袋尊」と書くのは、江戸時代の初期、都からの帰りに山中で道に迷った商人が民家だと思って一夜を過ごしたのが大木のうろの中でした。その奥に布袋尊像があったので、家に持ち帰り、一夜の宿の恩を毎日感謝し礼拝すると、ますまず商売繁盛するようになり、その噂を伝え聞いた人々がお店に詰めかけご利益にあずかり、いつのまにか「宝袋尊」と呼ぶようになったらしい。
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■題経寺(だいきょうじ)(柴又帝釈天・しばまたたいしゃくてん)
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日蓮宗の寺院で、寛永6年(1629)に創建。
境内中央にある帝釈堂には、日蓮上人自らが刻んだと伝えられる帝釈天の板本尊が祀られています。江戸時代の中期には、一度行方不明になったが、200年ほど前の庚申の日に発見され、以来、庚申の日の縁日が行われるようになったらしい。
本尊の横に、毘沙門天が祀られている。
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